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数字の終わりまで

090515
4/22の「遺すとか残るとか」で書いた日記帳のコト…自分が死んだ後、誰かに読まれる可能性に気づいてしまい、それがものすごく恐ろしくなって10年以上書き溜めた日記帳をすべて処分したコト…処分したことへの後悔はまったくなく、むしろ安堵感を得られた…という内容でした。

実は、「遺すとか残るとか」を書きながら、母が遺した文と向き合わされたコトも書きたいと思いました。
今回のタイトル「数字の終わりまで」は、母が原稿用紙に書いた文の題名なのです。

ちなみに、母は、私が8才の誕生日を迎えた2週間後に病気で亡くなりました(奇しくも今年、私は母の亡くなった年齢になりました)
年の離れた姉兄は、それから数年のうちに独立したので、多感な年頃には父と私の二人暮し。それだけが原因ではないのですが、15から17才くらいの思春期真只中の頃、私は、ヤサグレておりました。夜な夜な六本木で遊び歩き、家になんかよりつかない。とってもわかりやすい不良でした(笑)

すべてのオトナに敵意を抱き、一緒に遊んでいる友達以外には心を閉ざす日々。
本当は大好きな姉にも素直になれず、迷惑と心配ばかりかけている自分に、さらに嫌悪するという悪循環。ほんの少し前まではキューティクルが備わっていた髪も、脱色を繰り返し傷みに傷んだ上にさらにパーマを…という行動は、完全に自分を大事にしたくない表れだったわ。外観だけでなく、内面もかなりのイタミ具合だったのよね。。。ま、めずらしくもない。けっこうありがちなティーンエイジャーのお話だわ(笑)

そんなある日、何の用事だったか忘れたけれど、姉の嫁ぎ先の家に行ったのね。そこは小学生のとき、毎夏泊まっていた家で、その頃のわかりやすい不良のイデタチとは絶対マッチしない家だったわ(笑)
(って、笑い事じゃないね、あの頃は、ホントどうもスミマセンだわ。。)
で、姉が何を言っても心開かずにいると(開き方、忘れちゃってるんだよね)、帰る時「お母様が書いたものよ」
と、たたまれた黄ばんだ紙を手渡されたの。

帰りの電車の中で、何だろうと紙を広げるとそれは原稿用紙。
母は文を書くのが好きだったようで、雑誌へ投稿することもあったみたい(…というのは後に姉から聞いた話で、投稿するつもりで書いたのかどうかはわからないのだけど)、草書体っていうの?かなり崩した文字だから最初は読むのが大変だったんだけど、読み進めるうちに、ああ、あのときのことだ!!と、思い出が蘇ってきたのね。
母が亡くなる1年前のことで、小学校にあがったばかりの私は、母と手をつなぎ歩いていた…

「ママ。あのね。ふうちゃんね、ママのこと大好き」と立ち止まって言うと、母も立ち止まり「私もふうちゃん大好き!」と言ってくれる。
どれだけ好きかを伝えたいというのは、姉兄のいない、ふたりきりの時間がうれしかったからだと思う。

たぶん、それまでのそんな会話のときは、「ママのこと、こんだけ好き!」と両手を広げて、どれだけ好きかを伝えていたのだけど、そのときは、「数には終りがない」ということを知ったばかりの頃。
ものすごい大発見だと思ったのよね。「数には終りがない」ってことが。すごくよく覚えている。だから私は、こう言ったの。
「ふうちゃんはね、数字の終わりがあるなら、その一番終わりまでママが好き!」

黄ばんだ原稿用紙上には、そんな会話が書かれており、さらに母の文は続く。
(古い漢字だから、間違って書き写した部分もあるかも。。)

「私は一瞬びっくりして、愛する子は愛される子であると観念的に知っては居ても、こんなにこんなに吾が子から愛されて居るという事がうれしく、尊く思われた。
しっかりと子供と手を握りあいその手がひとつの関係に溶け込んでいく様なそんな熱いものが胸に広がった。
数字の終わりがあるならば、そんなに無限に愛されていることは、なんて素晴しい事だろうと、その時青空が痛くなるほど目にしみた」

目にしみたのは、それを読んだ私もだった。
原稿用紙1枚とちょっとに書かれた母の文面から、自分にも、無邪気で素直だった頃があったんだ、そして、それを母が嬉しく思ってくれていたことを知り、目も胸も熱くなった。
電車の中だというのに大泣き。わかりやすい不良の外観に似つかわしくいというのに、そんなのかまっちゃいられなくて、もうワンワン泣いた。

なんかね、そのことがあってから私は自分のことが好きになれた。
すぐに真面目な生活には戻らなかったけど、楽しんで不良ができるようになった。なんていうのかな、世の中に反抗することよりも、純粋に遊ぶことを楽しめるようになった。

あのとき、たった1枚ちょっとの母が遺した原稿用紙の文面で、閉ざされていた心が温かいものでいっぱいになり、溶け出したのは奇跡だと思っている。だから、今でも「数字の終わりまで」の原稿は大事に持っている。

子供って、もう大人になった私の子供たちもね、自分がおぼえていない頃の楽しいエピソードを聞かせると、すごく目を輝かせる。
自分が愛された記憶を感じ取っているのかもしれない。

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コメント

whokoさん

なんか泣きそうになりました。
っていうか、キーをたたいてる今も泣きそうです。
う~~~~ん

投稿: fuuka | 2009.05.15 17:07

なんていい話なんだろう。。
目ウルウルです(;ω;)
私の母も、7年くらい前に亡くなってしまって、思い出してしまいました。

小さいスケジュール帳に、「瞳紋代、妊娠3ヶ月目」とか、「育児がんばって」とか、短い文章だけど、亡くなってから見たので、気にしてくれている人がいるって幸せだったんだなぁ。あたしって。
って思ったよ。病院で最後に強く握り締めた右手のぬくもりが今でも覚えています。


投稿: 瞳紋代 | 2009.05.15 18:07

whokoさんは心に宝物をもっているね。

すばらしいひとときを原稿用紙の上にはっきりと焼き付けることができたお母様が愛おしく感じました。もう、他の人のお母様とか、関係ないから!

そして、、ちょっと羨ましくなりました。
私にも(まだ見つかっていないのだけど)こんな宝物があったのなら、やっぱり探し出さないといけないんですね(^_^)

投稿: てんこ | 2009.05.15 18:53

すごい・・素敵な話過ぎて・・・・
言葉になりません・・・・・

お母さん、愛情は勿論、知性と品がある素晴らしい方だったんですね。
数字に終わりがない発見に心躍ったWHOKOさんも
なんて利発なお子様だったんでしょうか!

投稿: ひろりん | 2009.05.15 19:09

はじめまして。
いつも楽しみにしています。

読んでる途中から 今も涙が止まりません…
私は しっかり子供たちを愛せているんだろうかと…
愛された記憶って 大切ですね。

この記事に出会えて良かったです!
ありがとうございました。

投稿: 今日子 | 2009.05.16 00:11

私も目にしみました。
なんてホントはしみたどころじゃないんですけど。

人は記憶で生かされてるってきいたことありますが
お母様はwhokoさんの記憶を呼び覚ます
鍵も遺してくれたんですね。
いい時期に渡してくれたお姉さまもステキです。

私もガラクタばかりじゃなく
そういうもの遺さなくちゃ、と思いました。

「数字の終わりに」忘れられない言葉になりそうです。

投稿: おれんじ2号 | 2009.05.16 01:22

↓私ったら忘れられないとかいって間違えてかいてるし。
「数字の終わりまで」でしたね。
失礼しました~m(_ _)m

投稿: おれんじ2号 | 2009.05.16 01:27

初めてコメントします。

私は祖母を亡くしたばかりで、その事で良い事にも嫌な事にも直面し、
いろいろと考えさせられました。今も自分の中で割り切れない思いもあります。
だから、今、このお話に出会えた事で、運命と言うと大げさかもしれませんが、
より深く「愛」を感じ、自分を振り返る事が出来る気がします。

素晴らしいお話を記してくださった事、本当に感謝します。

投稿: maki | 2009.05.16 12:57

こんにちは。初めまして。
もう5年以上前からずっと読み逃げしてきましたが
この記事を見てホント涙が止まらなくなりました。。
なので思い切ってコメントしました。

「数字の終りがあるならばその終わりまでママが好き」とおっしゃったwhokoさんの言葉、そしてその言葉を受けたお母様の心からの喜び、私自身忘れかけていたことを思い出させて頂いた気持ちでいっぱいです。

関西で読み始めたwhokoさんのブログ、運命のいたずら
なのか今は関東へ嫁いで来て読み逃げばかりですが
のぞかせて頂いております。
関西に居る時は遠く感じたのですが、関東へ引っ越して
来てからはお近く感じちゃったりしています。
すみません。。。

投稿: さきこっこ | 2009.05.16 13:19

WHOKOさんはステキで可愛い親孝行されたんですね。
言葉や文章で人に伝える事って難しいけれど
素直に愛してる事を伝えるって大切で
そんな想い出を遺せたら幸せだなぁと思いました。

WHOKOさん 気付かせてくれて有難うございます。

投稿: こうぷ | 2009.05.16 16:34

61才の主婦です
WHOKOさんのページ、手作り品の作り方など楽しませていただいてます。
いつもの様に軽く読み流すつもりが今日は釘付けに。。。
胸にしみるステキなお話ですね。

投稿: シズ | 2009.05.16 23:06

子供って、(私もそうだったし我が子たちもそうですが)母親に確認する時期ってありますよね。
幼児期に父を亡くし母子家庭だったんですが、一人っ子なのでもちろん母は独り占めできるんだけど、いつもいつも「スキの確認」をしていたのを思い出して…泣いちゃいました。
夕方、学校から帰ってくると仕事へ出掛ける準備を始める母。1人でルスバン。帰ってくるのは私が寝ている時。
だから、一緒に居れる僅かな時間に絶えず「確認」してたんでしょうね…。
おかげで今でも夕方がキライですが
ちなみに、息子は7月で8歳…。
自分に置き換えて考えて号泣してしまいました。whokoさんのお母様のお気持ちを考えると…さぞ辛かったことでしょう。
私も色々あったので生かされてる事に感謝です。
そして、なんだかこれからは母と親子喧嘩が出来るのも幸せだと思える余裕ができそうです
whokoさん、大切な思い出教えてくれてありがとう

投稿: つんちゃん | 2009.05.17 01:30

■fuukaさん
実は私もこの記事を書いてるとき泣きそうでした。
なぜだか説明はできないのですが…読んでくれてありがとうございます

■瞳紋代 さん
スケジュール帳に書かれたさりげない一言に胸打たれるってわかります。
想いは時を超え伝わるんですよね

■てんこさん
宝物を持っているといってくださって嬉しいです。
ありがとうございます。
持ってること、ときどき、忘れちゃったりもするのですが

■ひろりんさん
はい。まさに、数字に終わりがない発見に心躍ったんですよね。
ひろりんさんは、今、自分のお子さんだけでなく、たくさんのお子さんと接する機会があるでしょ?
ひろりんさんだったら、子供たちのそういう発見を一緒に楽しんでいそうな気がします

■今日子さん はじめまして。

>私は しっかり子供たちを愛せているんだろうかと…

はい。私は、子供たちに、始終、好きだよとは言わないですが、伝わっていてほしいなぁと思います。
愛された記憶は、生きていく上で自信になりますものね

■おれんじ2号さん

>いい時期に渡してくれたお姉さま

はい。タイミングがちょっとずれただけで、読まずに捨てた可能性もあるのですよ。
そう考えると不思議。
姉にしてみれば、自分の言葉が届かない歯がゆさから、最後の賭けみたいな気持ちもあったかもしれません。

■ maki さん はじめまして。
お祖母さまを亡くされたばかりとのこと、お辛いですよね。
亡くなった人とは会うことはできないのに、想いは残るし時を越えて伝わることもある。不思議ですよね

■さきこっこさん はじめまして
幼い自分の言葉が、当時の母だけでなく、うん十年たtってから、この記事を読んでくださった方々にも届いたこと、ものすごく、びっくりしています。

ところで関東の住み心地はいかがですか?私は住んだことはありませんが関西に興味と憧れがあります

■こうぷさん
自分で意識していない言葉、子供だからこそ言えた言葉が、これだけ強く作用するというのは不思議です。
大人になった今、多少意識してアイシテルを伝えなくちゃと思うようになりました。
なんたって、人生の折り返地点の今日この頃。先が短いのだもの

■シズさん
はじめまして。
コメントをありがとうございます。
「胸にしみる話」と言っていただき、とても嬉しいです。ありがとうございます

■つんちゃん
「おかげで今でも夕方がキライですが…」という文に、つんちゃんの子供の頃のいじらしさを垣間見たような気がします。
自分が親になり、幼い子供を残していく母の心境を思うと、歯がゆかったかもしれないと想像します。

お母様と余裕で喧嘩してみて下さい。もしも気持ちが治まらないときなどはコチラへ気持ちを逃避させてくださいね

投稿: whoko | 2009.05.17 09:20

おはようございます。
せっかくwhokoさんがまとめて下さったのにまた書いて申し訳ないのですが、こんな言葉を思い出したので。。。今96歳の義父がうちの息子が幼稚園の時に書いた言葉です。
「私は、子供の中に神を感じることがあります。」

投稿: てんこ | 2009.05.17 11:56

お久しぶりです。
whokoさんの文才はお母様譲りだと言うことを発見!
もう長くお邪魔していますが、今回も胸にじ~~んと来て、しばらく言葉の余韻に浸っていました。
以前、夏休みはお姉さまの所で過ごし いろいろな影響を受けた、と書かれていましたがそのお姉さまも
お母様に大きな影響を受けておられたのでしょうね。

こちらは母も年をとり色々大変なことばかりですが、自分の行く末だと心を落ち着かせる努力をしています。
これからも、心にしみる話&映画情報!を楽しみにしています。         フーテンのドラ息子の母

投稿: momonohanasaita | 2009.05.17 19:45

はじめまして。
オシャレで素敵な生活をいつも羨ましく思いながら、読ませていただいております。

私も泣きそうになりました。今も胸が一杯です。
今まで自分は母にどれだけ愛しているか、伝えたことがあったかしら?
いつも憎まれ口ばかり・・・の自分を顧みて反省いたしました。
今回、お母様の愛のあふれた文章を教えてくださってありがとうございました。

投稿: みみママ | 2009.05.17 21:30

こんにちは、whokoさん。

私も感動してしまいました。と,同時に,私も母親と二人きりでお出かけするのって,大事な時間だったなぁ。。と思い出しました。
うちの母親は、姉妹は平等に扱わないと,という方針だったのかどうかは知りませんが,いつでも姉がついてくる(無理矢理連れてくる)→気が合わない姉と母が喧嘩→お出かけが台無し。という図式でした(笑)
だから、whokoさんが二人きりの時間が嬉しい,というのが,すごく分かります。
いいお話をありがとうございます。

投稿: puppy | 2009.05.18 00:58

小学2年生と4歳の子供の子育て真っ最中の私としては
なんとも、胸に来過ぎるほどに、グッと来るお手紙です。

お母さん、若くしてお亡くなりになられましたが、
それまでの生涯はお子さんにも愛されて、
幸せだったのではないでしょうか。

最近は口答えが一人前になってきた
8歳の娘に怒鳴ってばかりの自分。

果たして、娘は私にwhokoさんがお母さんにおっしゃったような気持ちを持っているのか?と自信がありません。

あー、今日は帰宅したら、「好きだよ」を
もっと表現しよう。

投稿: kotokoto | 2009.05.18 11:13

■てんこさん

「子供の中に神を感じることがある」
お義父さまの言葉、畏怖と謙虚さを同時に感じます。
てんこさんは神を感じたことありますか?
音楽や自然の中など、そんな瞬間があるような気がします。

■momonohanasaita さん

というか、やはり、フーテンのドラ息子の母さんとお呼びするとき、勝手に同じニオイを感じる私(笑)

そうですか。お母様もそんな年齢になりますよね。
時々、母が生きていたらと想像することがあります。
いいこともモチロンたくさんあるでしょうが、たぶんワタシのことだからケンカしたんじゃないかナ(笑)

■みみママさん

可愛いワンちゃんでなごませていただきました。ありがとうございます^^

もし母が生きていたら、やはり私も憎まれ口をたたいていたと思います。素直なのは幼い頃だけの私ですから^^

■puppy さん

>いつでも姉がついてくる(無理矢理連れてくる)→気が合わない姉と母が喧嘩→お出かけが台無し。という図式

たいへん笑かせていただきました!
気が合わない親子ながら、なんとか歩み寄ろうとする姿が可笑しくも愛しいじゃありませんか!(笑)

■ kotokoto さん

たしか私も母にすねたり怒られたりした記憶があります。
母も決して完璧な人ではなかったし。
そして、私自身、自分の子に対しては、イライラをぶつけたり自己嫌悪な子育てもありました。今でも胸が痛むこともあります。

でもきっと、kotokoto さんが書いていた「好きだよを
もっと表現しよう」という気持ちと実行力でhappy
はやってくると信じています☆

投稿: whoko | 2009.05.18 11:40

お久しぶりです。

私も子どもの頃弟と競ってお母さんの事「こんだけ好き~」と両手をいっぱいに広げてやっていました。
好きの気持ちをもっと伝えたいと思っていたけど弟より少しだけ大きく広げられる事で自分の方が勝ったみたいな気持ち。
でも、2人だけの時にもう一回確認したくなって、「弟とどっちが好き?」って
母はそんな会話を弟と2人きりの時にもしていたようで、臨機応変に私の時には私、弟の時には弟と言っていたようです。
それぞれに秘密の約束で自分の方が愛されていると信じさせられスクスクと育ってきました。
今、大人になって実は弟の方が好きだったんじゃないかな~と薄々気がつきました。
チョッピリ切ないけど自分が大好きだった思い出は鮮明に残っていますし、今でも母の事大好きです。
whokoさんのように小学校に入ったばっかりで「数字の終わりがあるなら、その一番終わりまでママが好き!」って、そんなふうに伝えられてすごいな!と思います。
お母様の心にいつまでも残る一言だったんでしょうね。
その気持ちを忘れないように大切に原稿用紙に残されたんですね。
きっとこの事は皆に読んで欲しいくらい誇らしいと思って残されたと思いますよ。

投稿: mimoza* | 2009.05.19 13:23

■mimoza*さん

>弟より少しだけ大きく広げられる事で自分の方が勝ったみたいな気持ち。

ふふふ。とても微笑ましい。
その光景がめにうかんできます^^

>チョッピリ切ないけど自分が大好きだった思い出は鮮明に残っていますし、今でも母の事大好きです。

愛された記憶も大切だけど、お母さんのことがこんなにも大好き!と思えたことって、とてもシアワセなことですよね^^

投稿: whoko | 2009.05.19 16:57

久々にここへ来て日記を拝見していたら、もう涙が出ちゃって…

娘も今8歳です。
まだ最近の事のようですが、赤ちゃんの頃の話をきかせてあげようかな。

投稿: 佳代 | 2009.06.02 17:27

■ 佳代さん こんにちは~

8歳のお嬢さんに、赤ちゃんの頃の話、ぜひしてあげてください。
大きくなると照れていえないことも、小さい頃のエピソードを交えてなら、どんだけ可愛いと思っているかを伝えれれると思います。
きっと喜ぶと思いますよ♪

投稿: whoko | 2009.06.03 14:39

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受信: 2009.05.17 17:51

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